ジャンヌダルクばかりではなく後藤徹さんや普通の人も聞いた「神様の声」
今日は、私がこの日本ブログ村とかかわるきっかけを作ってくれた後藤徹さんと「神様の声」ということに少し心をはせてみました。
後藤徹さんが12年5カ月にわたる拉致監禁を乗り越えて、その後強制改宗撲滅を目指す裁判のために陳述書を提出されました。
裁判記録としてブログサイトにものせられており、それを読ませていただいて一番、心を動かされたのは監禁中に後藤さんが極限の中で神様の声を聞いていかれたとういきさつの部分です。
「拉致監禁by宮村の裁判記録」
http://antihogosettoku.blog111.fc2.com/blog-entry-286.html

また、同じよう監禁中に何人かの拉致監禁生還者のかたが神の声を聞かれたり、不思議な神体験をしたという証を読んだ記憶もあります。
信仰を持つものとして、迫害や困難の中に神様が生きて働かれているという体験の証ほど心を打たれるものはありません。
神様の声を聞くということが、ジャンヌダルクや(以下にあげる)マーティン・ルーサー・キング牧師のような有名な方たちに限られたものではないということなのです。
神様を信じるものは、宗教迫害の経験からその解決の過程の中での生きた神様との出会いがあるがゆえに「人権問題の解決と神とのかかわり」を切り離すことができないということが実感として認識しやすいのかもしれません。
アメリカの公民権運動などもキング牧師を先頭とした強い宗教的基盤のゆえに勝利をしていったのかもしれません。
http://press.princeton.edu/titles/8651.html
でも詳しいことは、やはり勉強をしなければうまく言い表せません。

私が以前どこかで読んだことがある マーティン・ルーサー・キング牧師の自叙伝にも彼が極限状態にいる中で「神様の声」を聞いていったことが書かれています。
でも、それを彼が人々の前に語ったのは11年後だということです。
この頃の背景は、ローザ・パークスのモンゴメリー・バス・ボイコット事件(公営バスの運転手の命令に背いて白人に席を譲るのを拒み、人種分離法違反の容疑で逮捕)が勃発したころで、キング牧師が公民権運動の若いリーダーと引き立てられてきた頃だとおもいます。
また当時は北部のシカゴから来た黒人の少年が、南部で白人女性に声をかけたために白人の男性によって殺害される様な時代でした。
その裁判では少年を殺した白人の男性に対しては無罪が言い渡されアメリカ全土に衝撃が走っていたということです。
このような暴力的な差別が平気で行われるアメリカで非暴力という武器で差別に闘いを挑んだのがマーティン・ルーサー・キング牧師です。

彼はいつも命の危険と隣り合わせでした。 脅迫電話が毎日のように続く日々でした。

以下は自叙伝「Stride Toward Freedom」からの 抜粋の簡略した訳です。
https://www.amazon.com/Stride-Toward-Freedom-Montgomery-Legacy/dp/0807000698/ref=pd_sbs_14_t_0?_encoding=UTF8&psc=1&refRID=W5NHN5HRV9B20R789H17
脅迫は続き毎日白人たちが私を殺すという計画を立てているという警告が私の耳にはいるようになりました。
ほとんど毎晩私は明日の不安を胸に抱き床についたのです。
そして夜が明けると私は妻のコレッタと3歳の娘を眺めながら一人思ったのです。
いつか自分たちはひき離されるかも知れないと。
1月も末近いある晩、私は一日中忙しく働いて夜遅くに床につきました。 私がうとうとしていると突然電話が鳴り電話口からは怒りを含んだ声で 「聞け黒ん坊よ ! ! 気の毒なことだが来週おまえがモントゴメリーにくるまでに俺たちは欲しいものをことごとくおまえから奪い取る !!」と。
電話は切れたのですが眠れませんでした。
潜んでいた恐怖が一度に襲って気ました。

ここからは自叙伝の一部が記載されている「NATINAL CATHOTIC -REPOTER」の一部を引用しました。
https://www.ncronline.org/blogs/road-peace/god-dr-kings-kitchen-table
私はもう、諦めるところでした。
私はベットから飛び起きて床の上を歩き始めましたが、ついに台所へ出かけて眼の前のコーヒーを口にすることもないまま私は一切を断念しようとしました。
私は卑怯者のように思われないで、なんとかうまくこの運動から抜け出す手がないかあれこれと考たのです。
疲れ果てた状態の中で、勇気がすっかり消えうせていた時、この問題の解決を神にゆだねようと決意したのでした。
両手で頭を抱え込み台所のテーブルの上にかがんで声大きく祈ったのです。
この日の真夜中に、私が神様に語った言葉は今もありありと私の記憶の中に残っています。
「私は、今ここで自分が正しいと信ずることのために闘っています。でも今私は怖くなりました。人々は私の指導を求めています。そしてもし、私が力も勇気もなく彼らの前に立てば、彼らもたじろぐでしょう。
私の力は今まさに尽きようとしています。私の中には何も残っていません。
私はすでにもう1人では到底立ち向かうことのできぬところまで来てしまいました。」
その瞬間、今だかつて体験したことのないような神の存在を経験しました。
「正義のために立ちなさい。真実のために立ちなさい。そうすれば神は永遠にあなたの傍らにいます。」 という静かな確かなる内なる声が語るのが聞こえるようでした。
殆どいっぺんに恐れが消え始め不安は消え去りました。
そして、どんなことがあろうとそれにに立ち向かう覚悟が出来たのです。
以上が、キング牧師が「神の声」を台所のテーブルに伏せている時に聞いた自身による証言です。
この神様との出会いゆえにそれ以降、キング牧師が黒人の公民権運動のために命をかけていくことができるようになったというとです。


President Lyndon Johnson signing the Civil Rights Act of 1964, with Dr. Martin Luther
We shall overcome
(アトランタ、ジョージア州にある、モアーハウスという私立の黒人の優秀な学生が全米から集まる大学のコーラスです)
https://youtu.be/Aor6-DkzBJ0

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後藤徹さんが12年5カ月にわたる拉致監禁を乗り越えて、その後強制改宗撲滅を目指す裁判のために陳述書を提出されました。
裁判記録としてブログサイトにものせられており、それを読ませていただいて一番、心を動かされたのは監禁中に後藤さんが極限の中で神様の声を聞いていかれたとういきさつの部分です。
「拉致監禁by宮村の裁判記録」
http://antihogosettoku.blog111.fc2.com/blog-entry-286.html

また、同じよう監禁中に何人かの拉致監禁生還者のかたが神の声を聞かれたり、不思議な神体験をしたという証を読んだ記憶もあります。
信仰を持つものとして、迫害や困難の中に神様が生きて働かれているという体験の証ほど心を打たれるものはありません。
神様の声を聞くということが、ジャンヌダルクや(以下にあげる)マーティン・ルーサー・キング牧師のような有名な方たちに限られたものではないということなのです。
神様を信じるものは、宗教迫害の経験からその解決の過程の中での生きた神様との出会いがあるがゆえに「人権問題の解決と神とのかかわり」を切り離すことができないということが実感として認識しやすいのかもしれません。
アメリカの公民権運動などもキング牧師を先頭とした強い宗教的基盤のゆえに勝利をしていったのかもしれません。
http://press.princeton.edu/titles/8651.html
でも詳しいことは、やはり勉強をしなければうまく言い表せません。

私が以前どこかで読んだことがある マーティン・ルーサー・キング牧師の自叙伝にも彼が極限状態にいる中で「神様の声」を聞いていったことが書かれています。
でも、それを彼が人々の前に語ったのは11年後だということです。
この頃の背景は、ローザ・パークスのモンゴメリー・バス・ボイコット事件(公営バスの運転手の命令に背いて白人に席を譲るのを拒み、人種分離法違反の容疑で逮捕)が勃発したころで、キング牧師が公民権運動の若いリーダーと引き立てられてきた頃だとおもいます。
また当時は北部のシカゴから来た黒人の少年が、南部で白人女性に声をかけたために白人の男性によって殺害される様な時代でした。
その裁判では少年を殺した白人の男性に対しては無罪が言い渡されアメリカ全土に衝撃が走っていたということです。
このような暴力的な差別が平気で行われるアメリカで非暴力という武器で差別に闘いを挑んだのがマーティン・ルーサー・キング牧師です。

彼はいつも命の危険と隣り合わせでした。 脅迫電話が毎日のように続く日々でした。

以下は自叙伝「Stride Toward Freedom」からの 抜粋の簡略した訳です。
https://www.amazon.com/Stride-Toward-Freedom-Montgomery-Legacy/dp/0807000698/ref=pd_sbs_14_t_0?_encoding=UTF8&psc=1&refRID=W5NHN5HRV9B20R789H17
脅迫は続き毎日白人たちが私を殺すという計画を立てているという警告が私の耳にはいるようになりました。
ほとんど毎晩私は明日の不安を胸に抱き床についたのです。
そして夜が明けると私は妻のコレッタと3歳の娘を眺めながら一人思ったのです。
いつか自分たちはひき離されるかも知れないと。
1月も末近いある晩、私は一日中忙しく働いて夜遅くに床につきました。 私がうとうとしていると突然電話が鳴り電話口からは怒りを含んだ声で 「聞け黒ん坊よ ! ! 気の毒なことだが来週おまえがモントゴメリーにくるまでに俺たちは欲しいものをことごとくおまえから奪い取る !!」と。
電話は切れたのですが眠れませんでした。
潜んでいた恐怖が一度に襲って気ました。

ここからは自叙伝の一部が記載されている「NATINAL CATHOTIC -REPOTER」の一部を引用しました。
https://www.ncronline.org/blogs/road-peace/god-dr-kings-kitchen-table
私はもう、諦めるところでした。
私はベットから飛び起きて床の上を歩き始めましたが、ついに台所へ出かけて眼の前のコーヒーを口にすることもないまま私は一切を断念しようとしました。
私は卑怯者のように思われないで、なんとかうまくこの運動から抜け出す手がないかあれこれと考たのです。
疲れ果てた状態の中で、勇気がすっかり消えうせていた時、この問題の解決を神にゆだねようと決意したのでした。
両手で頭を抱え込み台所のテーブルの上にかがんで声大きく祈ったのです。
この日の真夜中に、私が神様に語った言葉は今もありありと私の記憶の中に残っています。
「私は、今ここで自分が正しいと信ずることのために闘っています。でも今私は怖くなりました。人々は私の指導を求めています。そしてもし、私が力も勇気もなく彼らの前に立てば、彼らもたじろぐでしょう。
私の力は今まさに尽きようとしています。私の中には何も残っていません。
私はすでにもう1人では到底立ち向かうことのできぬところまで来てしまいました。」
その瞬間、今だかつて体験したことのないような神の存在を経験しました。
「正義のために立ちなさい。真実のために立ちなさい。そうすれば神は永遠にあなたの傍らにいます。」 という静かな確かなる内なる声が語るのが聞こえるようでした。
殆どいっぺんに恐れが消え始め不安は消え去りました。
そして、どんなことがあろうとそれにに立ち向かう覚悟が出来たのです。
以上が、キング牧師が「神の声」を台所のテーブルに伏せている時に聞いた自身による証言です。
この神様との出会いゆえにそれ以降、キング牧師が黒人の公民権運動のために命をかけていくことができるようになったというとです。




President Lyndon Johnson signing the Civil Rights Act of 1964, with Dr. Martin Luther
We shall overcome
(アトランタ、ジョージア州にある、モアーハウスという私立の黒人の優秀な学生が全米から集まる大学のコーラスです)
https://youtu.be/Aor6-DkzBJ0

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