今でもキラキラと、、、。
日本から先々月帰ってきてブログを久しぶりに書こうと思いながらも雑多(?)に追われ書くことができずにいました。
去年、今年と2年続けて日本に帰ってきました。今までは悲報を受けて緊急に帰ることがほとんどでしたが、これからは無理をしてでも故郷に習慣的に帰ろうと決意したのでした。
今回は、韓国の清平での修練会を終えた2人の子供を韓国から静岡空港まで飛ばせて私はシカゴから中国経由で静岡に飛びました。昔、遠足でいったあの牧の原台地に空港ができ、飛行機がそこに着陸したときは涙が出そうなぐらい感激をしました。
子供たちには初めての日本訪問、親戚との初対面となりました。
話に聞かせていた「そびえたつきれいな富士山」を見せてあげようと毎日、空を見回したのですが残念にも見えなかったのです。
義理兄に聞いてみれば、夏は雲や霧で富士山は見えにくく、秋や冬にはくっきりと見えるということでした。
私の心の記憶の中では故郷には富士山が365日、見えていたはずなのでした。
娘は汽車の窓から、かすかに頭を見せていた富士山を見つけては嬉しくて写真を何枚も撮っていました。

姉の家族のところに滞在しながら、たくさんの懐かしいところをたずね、親戚、友達にも会いました。
いまだにボスである姉に買い物につれていってもらい、きれいなアクセサリーのあるところを通りながら「あなたは、キラキラしたものが好きだったよね~。」と姉からしみじみと言われました。
私としたら故郷の思い出といえば「蛙にどじょう、せみ、とんぼ、ばった、くわがた、カブトムシや魚とり」なのです。
そしてそれが、どんな宝石にも勝り私の心の中では、色あせずに輝いているのです。




でも姉にそう言われてみればイルカさんの「夢見る少女の頃は~」という懐かしい歌に出てくるように「毎日、ビーズに糸を通していた」時もあったのでした。


私は36年前、19歳で統一教会に出会い野村健二さんという方が書かれた統一原理の入門書のような本を最初に読んで目からうろこが落ちるほど感動をしたのでした。人生の中で、最高の宝を見つけたように何かとても魅力的な世界に惹きつけられていったのを思い出します。(すべてが魅力的な世界ではありませんでしたが)
「目からうろこが落ちるほど感動をしていた」と表現をしたのは、その当時はたから私を見ていた姉でした。
それから教会で献身的に歩み31年前の今日9月27日、同志100名の兄弟姉妹とともに松涛本部(?)で古田(元)副会長たちから激励のお言葉をいただき、200名人事の第2陣としてアメリカへの人事をうけたのでした。
人事先はNYにおられた神山先輩のもとで振り分けられ、全米の開拓伝道所でした。
あれから30年プラス、自分が選んだ道は紆余曲折があったし、これからもあるでしょうけれども、今でもこよなくキラキラと輝いています。

今年の春にラスベガスの会議に参加させていただきました。
2世の新しい指導者が企画したユニークな会議でした。
(会議に参加して、今何をしているの?と問われると頭が上がらない立場なのですが、、、、、)
そこで全米の指導者の人たちが、過去にも勝るゆるぎない信仰の中によりひとつになりつつある姿に出会い感動をしました。
いろいろな方々と正直に話しを交わす中で、私たちの統一運動体は大きな試練を何度も乗り越えながらより洗練されつつあるとも感じました。

ダイヤモンドは炭素(たんそ)から出来るのですね。
永遠の輝きを誇るダイヤモンドと鉛筆の芯との違いは何なのだろうと考えます。
ダイヤモンドは地球のすごく深いところで物凄く熱い上に強烈な力で圧迫され、押さえつけられて出来るようです。
その為に炭素の粒子たちが強く結び付けられ、そしてダイヤモンドとなっていくようです。
まるで、私がラスベガスで会った多くの兄弟姉妹たちのようです。
今、天におられる真のお父様とひとつとなられたお母様の率いられるの世界平和家庭連合を中心とした統一運動は、
ダイヤモンドになる過程を通過しているのかもしれません。
私は、最近の統一運動、家庭連合の中で、より御言葉の本質が吟味されるようになり何が私たちの根幹となるものなのかということが、より明確に提示されるようになり、とても感動をしているものの一人です。
31年前に渡米する私たちに激励の言葉を持ち、心配しながら送り出してくれ育ててくださった私の家族と日本の大家族の皆さんに感謝をこめて、この歌をお送りします。
数ヶ月前、はじめて耳にして以来、時々私の心の中にも流れるようになりました。
サライ(心の故郷)
"

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去年、今年と2年続けて日本に帰ってきました。今までは悲報を受けて緊急に帰ることがほとんどでしたが、これからは無理をしてでも故郷に習慣的に帰ろうと決意したのでした。
今回は、韓国の清平での修練会を終えた2人の子供を韓国から静岡空港まで飛ばせて私はシカゴから中国経由で静岡に飛びました。昔、遠足でいったあの牧の原台地に空港ができ、飛行機がそこに着陸したときは涙が出そうなぐらい感激をしました。
子供たちには初めての日本訪問、親戚との初対面となりました。
話に聞かせていた「そびえたつきれいな富士山」を見せてあげようと毎日、空を見回したのですが残念にも見えなかったのです。
義理兄に聞いてみれば、夏は雲や霧で富士山は見えにくく、秋や冬にはくっきりと見えるということでした。
私の心の記憶の中では故郷には富士山が365日、見えていたはずなのでした。
娘は汽車の窓から、かすかに頭を見せていた富士山を見つけては嬉しくて写真を何枚も撮っていました。

姉の家族のところに滞在しながら、たくさんの懐かしいところをたずね、親戚、友達にも会いました。
いまだにボスである姉に買い物につれていってもらい、きれいなアクセサリーのあるところを通りながら「あなたは、キラキラしたものが好きだったよね~。」と姉からしみじみと言われました。
私としたら故郷の思い出といえば「蛙にどじょう、せみ、とんぼ、ばった、くわがた、カブトムシや魚とり」なのです。
そしてそれが、どんな宝石にも勝り私の心の中では、色あせずに輝いているのです。




でも姉にそう言われてみればイルカさんの「夢見る少女の頃は~」という懐かしい歌に出てくるように「毎日、ビーズに糸を通していた」時もあったのでした。


私は36年前、19歳で統一教会に出会い野村健二さんという方が書かれた統一原理の入門書のような本を最初に読んで目からうろこが落ちるほど感動をしたのでした。人生の中で、最高の宝を見つけたように何かとても魅力的な世界に惹きつけられていったのを思い出します。(すべてが魅力的な世界ではありませんでしたが)
「目からうろこが落ちるほど感動をしていた」と表現をしたのは、その当時はたから私を見ていた姉でした。
それから教会で献身的に歩み31年前の今日9月27日、同志100名の兄弟姉妹とともに松涛本部(?)で古田(元)副会長たちから激励のお言葉をいただき、200名人事の第2陣としてアメリカへの人事をうけたのでした。
人事先はNYにおられた神山先輩のもとで振り分けられ、全米の開拓伝道所でした。
あれから30年プラス、自分が選んだ道は紆余曲折があったし、これからもあるでしょうけれども、今でもこよなくキラキラと輝いています。

今年の春にラスベガスの会議に参加させていただきました。
2世の新しい指導者が企画したユニークな会議でした。
(会議に参加して、今何をしているの?と問われると頭が上がらない立場なのですが、、、、、)
そこで全米の指導者の人たちが、過去にも勝るゆるぎない信仰の中によりひとつになりつつある姿に出会い感動をしました。
いろいろな方々と正直に話しを交わす中で、私たちの統一運動体は大きな試練を何度も乗り越えながらより洗練されつつあるとも感じました。

ダイヤモンドは炭素(たんそ)から出来るのですね。
永遠の輝きを誇るダイヤモンドと鉛筆の芯との違いは何なのだろうと考えます。
ダイヤモンドは地球のすごく深いところで物凄く熱い上に強烈な力で圧迫され、押さえつけられて出来るようです。
その為に炭素の粒子たちが強く結び付けられ、そしてダイヤモンドとなっていくようです。
まるで、私がラスベガスで会った多くの兄弟姉妹たちのようです。
今、天におられる真のお父様とひとつとなられたお母様の率いられるの世界平和家庭連合を中心とした統一運動は、
ダイヤモンドになる過程を通過しているのかもしれません。
私は、最近の統一運動、家庭連合の中で、より御言葉の本質が吟味されるようになり何が私たちの根幹となるものなのかということが、より明確に提示されるようになり、とても感動をしているものの一人です。
31年前に渡米する私たちに激励の言葉を持ち、心配しながら送り出してくれ育ててくださった私の家族と日本の大家族の皆さんに感謝をこめて、この歌をお送りします。
数ヶ月前、はじめて耳にして以来、時々私の心の中にも流れるようになりました。
サライ(心の故郷)
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