新年のご挨拶と自己紹介、このブログを始めるに至ったきっかけ
皆様、新年あけましておめでとうございます。
今年から、ブログをはじめます。私は現在、アメリカのイリノイ州、シカゴから車で、南に3時間、首都スプリングフィ-ルドから1時間半離れた、イリノイ大学があるシャンペーンという学生街として知られた小さな都市に住んでいます。
国際家庭の多くの子供は、片親が日本語を教えてあげたり、子供に日本語で日常語りかけることにより、日本語を喋るようですが、私の子供は近くに日本人がいないことと、日常生活も、私が日本語で話してあげなかった故に、日本語が全くわかりません。特に、独身時代を多くの兄弟姉妹とすごしたアメリカの南部から、夫の故郷に帰ってからの過去20年間は、私の心にある日本もすでに、遠い存在になりつつあるところでした。,
そんな私が日本の事情、特に教会の事情に関心を持ち始めた大きなきっかけは、2009年の夏、地元のCIVIL RIGHT MOVOMENT(公民権運動)の牧師と共に、仁進様の率いられる渉外チームに加わり、ワシントンDCのキャピタルヒルの地元共和党の国会議員を訪問したことです。
それは、日本の統一教会員は、自分の兄弟姉妹だと涙を流されながら訴ったえられ、人権侵害問題の解決のため非常に心を痛めておられた仁進様の揺るがぬ決意と、並々ならぬ情熱が、全米の地方にいる私たちにも伝わり、日本のおける拉致監禁問題、宗教迫害の実体が浮き彫りにされ、非道な宗教迫害に対する憤慨と、撲滅に対する意識が高められたゆえだと思います。
あの年、その仁進様の呼びかけのもとに、米国統一運動の各部門の指導者が総動員され、全米に広がるUPFの指導者を通して、国会議員と親しい地方に住む平和大使や、有力牧師たちの協力も求められました。
というのは国会議員たちは、自分の州からの、国民の声、特に多くの国民に影響力がある人の声は、いくら忙しくても、耳を傾けてくれるからです。
それで、以前から、親しくしていた人権侵害問題に関しては、とても長けている公民権活動家だったシェルビー牧師とともに、議員との面会の約束の日にワシントンDCキャピタルヒルに向かうことになったわけです。
その時の議員のオフィスでの会話の内容が、ずっと心の中にに印象深く残り、それ以来、アメリカの事情と日本の事情を知るために文献などを特にインターネットを通してよく読むようになりました。
ジョンソン議員のオフィスでは、仁進様が日本における統一教会員の人権蹂躙問題、宗教の自由の権利の侵害に対しての説明をされて、米国の協力を求めている趣旨を話されたわけですが、それに対するジョンソン議員の回答は、少し以外でした。私が覚えている要点は以下の2つです。
「アメリカが、外の国に干渉することは、自分は反対だ!イラクからも手を引くべきだ!」
「中国でも、アフリカでも、中東でも、ほかの多くの国で、人権が侵されている、なぜ、統一教会員の人権問題だけをここで私がとりあげる理由があるのか?」
という一見、突き放されたような内容でした。
アメリカが、立たされている位置、国の事情を考えると、今は理解できるのできるのですが、そのときは失望しました。
アメリカは、そんな自国のことばかり考える国では、なかったはずだ、、と。しかも、ジョンソン議員は共和党議員というのに....と。
もうひとつ、忘れられないことは、仁進様が、別れ際に「これは、私の父、文鮮明牧師の自叙伝です。どうか読んでください」とお父様の、自叙伝を差し上げたことです。
再臨主の娘から、「自分の父の自叙伝」だといわれ、じかに、それをいただけるとは、どれほど、幸運な方かと思ったものでした。
また、この面会の前、その日、わざわざ遠くから旧知の地元の牧師がDCに来たということで、昼食に招待してくださり共和党の議員会館で多くの議員たちと食事をいただきました。
その時、議員の下で、人権問題なども扱う方が、「実をいうと今、1件、アメリカ人の夫と離婚した母親が子とも日本に連れ帰った件で、日本と交渉している問題(ハーグ条約)がある、何か、助けができたら協力したい」といって、名刺をくださいました。
起きている問題がアメリカ人(自分の管轄下にある国民)と直接関係があれば、政府は、すぐに動いてくれるわけなんだ、とその時は思いました。
***(去年は、地道に継続的に国会議員を訪問し、政府機関と交渉をつずけてこられた指導者や拉致被害者の方々のゆえに、歴史的なシンポジウムー米国の同盟国などで起きている宗教迫害の実態を報告するシンポジウム『America’s Response to Religious Persecution in Allied Nations(同盟国における宗教迫害に対するアメリカの対応)』が、もたれたようです。
http://www.ucjp.org/?p=12921、
このシンポジウムの報告を読むと、従来の交渉の観点とは違う、新しい観点から、拉致監禁問題を解決していくための、ブループリントが、伺われます。
このようなことが、きっかけとなり、日本の事情に、かかわるようになりました。
去年は、予期しないたくさんのことが、おきました。それに追い討ちをかけるかのように多くの、教会内の混乱内容がインタートで流されるようになりました。しかし、私は、多くのその内容はインターネットで作られた、架空のものだということを、確信をもっていうことができます。
今日まず、このブログを書こうをして、頭にい浮かんだ言葉が「とんでひに入る....」「とんでひに入る....?」、...............、表現したい観念は明確なのですが、当てはまる言葉が出てこないのです。
グーグル検索して ”とんでひに入る ” と入れたら、 」「飛んで火に入る夏の虫」 と出てきました。(そんなブログのタイトルの方もいましたね)
「明かるさにつられて飛んで来た夏の虫が、火で焼け死ぬ意から、自分から進んで災いの中に飛び込むことのたとえ。」とあります。
これが、今回ブログを書くにあたり、イクサイティング(興味しんしんな)思いとともに自らの心をよぎってくる正直な心境でもあります。
では、皆様、よいお年を!!!
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今年から、ブログをはじめます。私は現在、アメリカのイリノイ州、シカゴから車で、南に3時間、首都スプリングフィ-ルドから1時間半離れた、イリノイ大学があるシャンペーンという学生街として知られた小さな都市に住んでいます。
国際家庭の多くの子供は、片親が日本語を教えてあげたり、子供に日本語で日常語りかけることにより、日本語を喋るようですが、私の子供は近くに日本人がいないことと、日常生活も、私が日本語で話してあげなかった故に、日本語が全くわかりません。特に、独身時代を多くの兄弟姉妹とすごしたアメリカの南部から、夫の故郷に帰ってからの過去20年間は、私の心にある日本もすでに、遠い存在になりつつあるところでした。,
そんな私が日本の事情、特に教会の事情に関心を持ち始めた大きなきっかけは、2009年の夏、地元のCIVIL RIGHT MOVOMENT(公民権運動)の牧師と共に、仁進様の率いられる渉外チームに加わり、ワシントンDCのキャピタルヒルの地元共和党の国会議員を訪問したことです。
それは、日本の統一教会員は、自分の兄弟姉妹だと涙を流されながら訴ったえられ、人権侵害問題の解決のため非常に心を痛めておられた仁進様の揺るがぬ決意と、並々ならぬ情熱が、全米の地方にいる私たちにも伝わり、日本のおける拉致監禁問題、宗教迫害の実体が浮き彫りにされ、非道な宗教迫害に対する憤慨と、撲滅に対する意識が高められたゆえだと思います。
あの年、その仁進様の呼びかけのもとに、米国統一運動の各部門の指導者が総動員され、全米に広がるUPFの指導者を通して、国会議員と親しい地方に住む平和大使や、有力牧師たちの協力も求められました。
というのは国会議員たちは、自分の州からの、国民の声、特に多くの国民に影響力がある人の声は、いくら忙しくても、耳を傾けてくれるからです。
それで、以前から、親しくしていた人権侵害問題に関しては、とても長けている公民権活動家だったシェルビー牧師とともに、議員との面会の約束の日にワシントンDCキャピタルヒルに向かうことになったわけです。
その時の議員のオフィスでの会話の内容が、ずっと心の中にに印象深く残り、それ以来、アメリカの事情と日本の事情を知るために文献などを特にインターネットを通してよく読むようになりました。
ジョンソン議員のオフィスでは、仁進様が日本における統一教会員の人権蹂躙問題、宗教の自由の権利の侵害に対しての説明をされて、米国の協力を求めている趣旨を話されたわけですが、それに対するジョンソン議員の回答は、少し以外でした。私が覚えている要点は以下の2つです。
「アメリカが、外の国に干渉することは、自分は反対だ!イラクからも手を引くべきだ!」
「中国でも、アフリカでも、中東でも、ほかの多くの国で、人権が侵されている、なぜ、統一教会員の人権問題だけをここで私がとりあげる理由があるのか?」
という一見、突き放されたような内容でした。
アメリカが、立たされている位置、国の事情を考えると、今は理解できるのできるのですが、そのときは失望しました。
アメリカは、そんな自国のことばかり考える国では、なかったはずだ、、と。しかも、ジョンソン議員は共和党議員というのに....と。
もうひとつ、忘れられないことは、仁進様が、別れ際に「これは、私の父、文鮮明牧師の自叙伝です。どうか読んでください」とお父様の、自叙伝を差し上げたことです。
再臨主の娘から、「自分の父の自叙伝」だといわれ、じかに、それをいただけるとは、どれほど、幸運な方かと思ったものでした。
また、この面会の前、その日、わざわざ遠くから旧知の地元の牧師がDCに来たということで、昼食に招待してくださり共和党の議員会館で多くの議員たちと食事をいただきました。
その時、議員の下で、人権問題なども扱う方が、「実をいうと今、1件、アメリカ人の夫と離婚した母親が子とも日本に連れ帰った件で、日本と交渉している問題(ハーグ条約)がある、何か、助けができたら協力したい」といって、名刺をくださいました。
起きている問題がアメリカ人(自分の管轄下にある国民)と直接関係があれば、政府は、すぐに動いてくれるわけなんだ、とその時は思いました。
***(去年は、地道に継続的に国会議員を訪問し、政府機関と交渉をつずけてこられた指導者や拉致被害者の方々のゆえに、歴史的なシンポジウムー米国の同盟国などで起きている宗教迫害の実態を報告するシンポジウム『America’s Response to Religious Persecution in Allied Nations(同盟国における宗教迫害に対するアメリカの対応)』が、もたれたようです。
http://www.ucjp.org/?p=12921、
このシンポジウムの報告を読むと、従来の交渉の観点とは違う、新しい観点から、拉致監禁問題を解決していくための、ブループリントが、伺われます。
このようなことが、きっかけとなり、日本の事情に、かかわるようになりました。
去年は、予期しないたくさんのことが、おきました。それに追い討ちをかけるかのように多くの、教会内の混乱内容がインタートで流されるようになりました。しかし、私は、多くのその内容はインターネットで作られた、架空のものだということを、確信をもっていうことができます。
今日まず、このブログを書こうをして、頭にい浮かんだ言葉が「とんでひに入る....」「とんでひに入る....?」、...............、表現したい観念は明確なのですが、当てはまる言葉が出てこないのです。
グーグル検索して ”とんでひに入る ” と入れたら、 」「飛んで火に入る夏の虫」 と出てきました。(そんなブログのタイトルの方もいましたね)
「明かるさにつられて飛んで来た夏の虫が、火で焼け死ぬ意から、自分から進んで災いの中に飛び込むことのたとえ。」とあります。
これが、今回ブログを書くにあたり、イクサイティング(興味しんしんな)思いとともに自らの心をよぎってくる正直な心境でもあります。
では、皆様、よいお年を!!!

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