誠を尽くす.天からのメッセージ。
偶然とは思えない、印象的な体験は誰にでもあると思います。
神様が、何かを語ろうとされていると感じた体験です。
私にも、3つあります。
ここに書くのはその一つです。
1984年11月1日。日本でのことです。
丁度、日本の千円札がタンチョウ鶴と夏目漱石に変わった日だったと記憶します。
早朝、道路に見事な鶴の絵が大きく描かれいいました。
水で描かれていました。
まるで水墨画のようでした。
鶴は足にけがをしていました。
傷ついているように見えました。
不思議だなあ思いました。こともの水遊びの落書きにしては上手すぎたからです。
そのころ、私は、自分がたてた大きな実積目標を果たすために
命がけで毎日を生きていました。
死を毎日、意識したということです。
外的な目標を達成するためには手段は何でもよかたのです。
目標を達成率は良かったのですが
心は荒れ果て、罪の意識もうすれ果てていました。
そのころのリーダーはいつも、
精誠をを尽くすというのお父様のみ言葉を好んで拝読してくれました。
その日の朝は
「天と真のお父様の完全な対象として歩まれる真のお母さまのごとく
私も天と真のお父様の完全な対象として全ての人に真の愛をそそいで精誠をつくして歩む」
それを心に刻んで忠実に心を見つめ人々に無条件に愛の思いを注いで歩みました。
それだけに心を注ぎ込みました。
その最初の日の朝、そんな不思議なことがあり、
一週間、毎日そのことを心に止めて歩みました。
何か天とスパークしたと感じたからです。
何がスパークしたと感じたかというと
「天と真のお父様の完全な対象として歩まれる真のお母さまのごとく
私も天と真のお父様の完全な対象として全ての人に真の愛をそそいで精誠をつくして歩む」
という心のうちにたてた内容がです。
その期間は外的な目標の達成率は悲惨なものでした。
でも一週間来る日も来る日、違う形で「鶴」との出会いが、一番最後にありました。
私はそこに天の愛と声を聞いたように思いました。
神様は私にこうして毎日、特攻隊のように歩んでほくないんだと。目的成就の為に特攻隊のように生きてほしくはなんだと。
もしかしたら、
あれは真のお母さまの心との出会いだったのかもしれません。
あの頃の統一家は、ご子女様が交通事故で亡くなられ、真のお父様のダンベリーの刑務所への投獄など、2重3重の苦が降り注いだ年でした。
ああいう歩みが主を助けるどころか、十字架を負わせてしまっていたのではないかと、それは最近思うようになりました。
次の週は「人々に精誠をを尽くす」ことだけを心に留めました。
その週は[鶴」との出会いこそありませんでしたが
導かれるように最高の実りが毎日与えられました。
渡米して33年、
身に刻まれたこのような体験は、自分が軌道を外れそうになる時に、どこからともなく必ず蘇ってくるものです。

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神様が、何かを語ろうとされていると感じた体験です。
私にも、3つあります。
ここに書くのはその一つです。
1984年11月1日。日本でのことです。
丁度、日本の千円札がタンチョウ鶴と夏目漱石に変わった日だったと記憶します。
早朝、道路に見事な鶴の絵が大きく描かれいいました。
水で描かれていました。
まるで水墨画のようでした。
鶴は足にけがをしていました。
傷ついているように見えました。

不思議だなあ思いました。こともの水遊びの落書きにしては上手すぎたからです。
そのころ、私は、自分がたてた大きな実積目標を果たすために
命がけで毎日を生きていました。
死を毎日、意識したということです。
外的な目標を達成するためには手段は何でもよかたのです。
目標を達成率は良かったのですが
心は荒れ果て、罪の意識もうすれ果てていました。
そのころのリーダーはいつも、
精誠をを尽くすというのお父様のみ言葉を好んで拝読してくれました。
その日の朝は
「天と真のお父様の完全な対象として歩まれる真のお母さまのごとく
私も天と真のお父様の完全な対象として全ての人に真の愛をそそいで精誠をつくして歩む」
それを心に刻んで忠実に心を見つめ人々に無条件に愛の思いを注いで歩みました。
それだけに心を注ぎ込みました。
その最初の日の朝、そんな不思議なことがあり、
一週間、毎日そのことを心に止めて歩みました。
何か天とスパークしたと感じたからです。
何がスパークしたと感じたかというと
「天と真のお父様の完全な対象として歩まれる真のお母さまのごとく
私も天と真のお父様の完全な対象として全ての人に真の愛をそそいで精誠をつくして歩む」
という心のうちにたてた内容がです。
その期間は外的な目標の達成率は悲惨なものでした。
でも一週間来る日も来る日、違う形で「鶴」との出会いが、一番最後にありました。
私はそこに天の愛と声を聞いたように思いました。
神様は私にこうして毎日、特攻隊のように歩んでほくないんだと。目的成就の為に特攻隊のように生きてほしくはなんだと。
もしかしたら、
あれは真のお母さまの心との出会いだったのかもしれません。
あの頃の統一家は、ご子女様が交通事故で亡くなられ、真のお父様のダンベリーの刑務所への投獄など、2重3重の苦が降り注いだ年でした。
ああいう歩みが主を助けるどころか、十字架を負わせてしまっていたのではないかと、それは最近思うようになりました。
次の週は「人々に精誠をを尽くす」ことだけを心に留めました。
その週は[鶴」との出会いこそありませんでしたが
導かれるように最高の実りが毎日与えられました。
渡米して33年、
身に刻まれたこのような体験は、自分が軌道を外れそうになる時に、どこからともなく必ず蘇ってくるものです。

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