私のマッチングと祝福結婚-祝福か呪いか?
28年まえの今日、私と夫は文鮮明、韓鶴子ご夫妻により、祝福結婚をさせていただきました。
1275x2人の方とともにです。
私たちのはじめての出会いはそれより2年弱前1987年の3月27日のニューヨークでのマッチングのときです。
アトランタというジョージア州の首都の町で、私たちが教会のファンダレージングをしていた時のことです。
夫はシカゴにいました。
「マッチングだってよ~」といわれ、途中でファンダレージングをやめて、アトランタからたくさんの兄弟姉妹とともにニューヨークに向かったのでした。(バンにのってだったでしょうか)
覚えていることは、ファンダレージングは7ドルしかできていなかったけれど、「ラッキー7だ」と思ったこと。
アフリカの方と受けるかもしれない、国際の結婚で反対されないように家に電話をしようとしたこと。また、いい服がないと気をもめていたら、その頃のリジョンの副リーダー、中村惣一郎先生に「きるものより内的な準備をしなさい」としかられたこと。
(中村先生は西洋の兄弟姉妹がいるところでは、日本語をしゃべるなと私たちに内的な道徳的な教育をしてくださいました)
服は先輩の姉妹が、お母様が初代劉教会長婦人にあげられ先輩の姉妹がいただいたという仁進様のピンクの服をかしてくれとこと。体格のよい仁進様だったのでしょう、私にピッタリだったこと。
あの頃、私はお父様のみ言葉の「一番すばらしい祝福は、未開拓地の無学な人を相対に迎えて、すべてを乗り越えて、一番幸せなカップルになることである。そのカップルはすべての人々を抱擁できるようになる」というような内容に、私の理想も描いていたころです。
お父様が選んでくださった相対者は、アフリカ人ではありませんでした。アメリカ人でした。
夫は冗談で、お父様は心の白い(清いという意味)アフリカ人ではなくて、霊人体の黒い自分(白い黒い人)を選ばれたのだといいます。
(いろいろと悩んでいたらしいです)
夫はたちなさいといわれてから、だいぶ長くたたされていたようでした。
お父様が、すごく近くを通られたときに、メシヤであるお父様のおなかをぐいぐい押したんだといっていました。
(私はそれを後で聞いたときに、イエス様のきものに必死の思いでふれた長血をわずらう女のようだと思いました)
私は「身長160センチ以上の女性立ちなさい」といわれてその中の一人としてたちました。
夫の唯一の希望は「背の高い女性」だったようです。
私は、日本にいたら、169CMの大女です。
共通点は、学生時代は運動が得意で夫はフットボール、私はバスケに命をかけたことがあるということだけでした。
しばらくして、私にお父様が指できなさいといわれ、その瞬間、私の夫との 歩くだけでもすぐに、ずっこける永遠の二人三脚が決定しました。
今日はメシアであられる、ご父母様に心から感謝をこめて昔をふり返り書かせていただきました。
また、この2017年が統一家にとり多くをかき抱き、飛躍と祝福と実りの年となりますように。
HAPPY NEW YEAR 2017

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私たちのはじめての出会いはそれより2年弱前1987年の3月27日のニューヨークでのマッチングのときです。
アトランタというジョージア州の首都の町で、私たちが教会のファンダレージングをしていた時のことです。
夫はシカゴにいました。
「マッチングだってよ~」といわれ、途中でファンダレージングをやめて、アトランタからたくさんの兄弟姉妹とともにニューヨークに向かったのでした。(バンにのってだったでしょうか)
覚えていることは、ファンダレージングは7ドルしかできていなかったけれど、「ラッキー7だ」と思ったこと。
アフリカの方と受けるかもしれない、国際の結婚で反対されないように家に電話をしようとしたこと。また、いい服がないと気をもめていたら、その頃のリジョンの副リーダー、中村惣一郎先生に「きるものより内的な準備をしなさい」としかられたこと。
(中村先生は西洋の兄弟姉妹がいるところでは、日本語をしゃべるなと私たちに内的な道徳的な教育をしてくださいました)
服は先輩の姉妹が、お母様が初代劉教会長婦人にあげられ先輩の姉妹がいただいたという仁進様のピンクの服をかしてくれとこと。体格のよい仁進様だったのでしょう、私にピッタリだったこと。
あの頃、私はお父様のみ言葉の「一番すばらしい祝福は、未開拓地の無学な人を相対に迎えて、すべてを乗り越えて、一番幸せなカップルになることである。そのカップルはすべての人々を抱擁できるようになる」というような内容に、私の理想も描いていたころです。
お父様が選んでくださった相対者は、アフリカ人ではありませんでした。アメリカ人でした。
夫は冗談で、お父様は心の白い(清いという意味)アフリカ人ではなくて、霊人体の黒い自分(白い黒い人)を選ばれたのだといいます。
(いろいろと悩んでいたらしいです)
夫はたちなさいといわれてから、だいぶ長くたたされていたようでした。
お父様が、すごく近くを通られたときに、メシヤであるお父様のおなかをぐいぐい押したんだといっていました。
(私はそれを後で聞いたときに、イエス様のきものに必死の思いでふれた長血をわずらう女のようだと思いました)
私は「身長160センチ以上の女性立ちなさい」といわれてその中の一人としてたちました。
夫の唯一の希望は「背の高い女性」だったようです。
私は、日本にいたら、169CMの大女です。
共通点は、学生時代は運動が得意で夫はフットボール、私はバスケに命をかけたことがあるということだけでした。
しばらくして、私にお父様が指できなさいといわれ、その瞬間、私の夫との 歩くだけでもすぐに、ずっこける永遠の二人三脚が決定しました。
今日はメシアであられる、ご父母様に心から感謝をこめて昔をふり返り書かせていただきました。
また、この2017年が統一家にとり多くをかき抱き、飛躍と祝福と実りの年となりますように。
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