3.1 独立運動に

 今日は3月1日は、韓国の日本からの独立運動が、開始された記念日ということです。



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 それに関して、今日、EMAILや、アメリカの教会のWEBサイトでも、いつにもなくニュースが流れてきています。

読売新聞では:

「【ソウル=豊浦潤一】韓国の朴槿恵パククネ大統領は1日、日本の植民地支配に抵抗した1919年の「3・1独立運動」の94周年記念式典で演説した。
 朴大統領は日韓関係について、いわゆる従軍慰安婦問題などを念頭に、「未来の世代にまで歴史の重荷を背負わせてはいけない。我々の世代の政治指導者たちの決断と勇気が必要な時だ」と述べ、歴史問題の早期解決を訴えた。
 朴大統領が2月25日の就任後、演説で日韓関係に言及するのは初めて。朴政権は李明博前大統領の竹島上陸を契機に冷却化した日韓関係の修復に意欲を見せているが、演説は「未来志向」よりも「過去の問題解決」に比重を置く内容となった。」(2013年3月1日11時30分 読売新聞)
  という記事が記されています。
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日本による韓国侵略は、私たちがしたことではありませんが、私たちの先祖が国を挙げてしたことであり、日本国民として、また、韓国を侵略した先祖の子孫として心から、謝罪もうしあげます。


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 今まで、関心を深くもって勉強をしたことがないのですが、今日は、少しそれに関するみ言葉を探し、自らの経験も含めて、少しの間だけですが、調べながら心を昔に偲ばせてみました。
 
 長く信仰生活をしていると、みんな、それぞれ、いろいろな形でご父母様との出会いがあります。霊的に出会うときもあれば、み言葉の中で出会うときもあれば、実際に、出会うこともあります。わたしも、そんなことが何度かありました。

 お父様は、ご生存中、まさに、私たちやその背後の先祖を全てをご存知であられる親として、接してくださり、知りながら許してくださり、信じてくださっとように思います。
 もう、ずいぶん前になりますが、お父様が「お父様を鞭打った日本の憲兵を許したがゆえに多くの日本人が、我知らずに、み旨の道をあゆむようになる」ということをいわれました。 
 私も、その一人ではないかと思ったことがあります。

 私の母の育ての父は韓国ではありませんが、そのころは、中国人、日本人、少数の韓国人が住んでいたた満州の旅順、大連市で憲兵をしていました。真綿に包まれるように大切に実子として育てられてきたので、母にとり、唯一の慕わしい親でした。家族には優しく、愛情が深い親でしたけれど、それ以外は、怖い厳しい憲兵だったようです。

 終戦後、帰国してきました。憲兵をしていた、わたしのおじいさんは、現地の人から、石を投げつけられたり、命からがら帰国したようです。
 親の愛をうけ、育ち故郷の大連に、再び行くのが母の夢でした。でも母が、昔を懐かしがり見る写真つきの「アカシアの大連」「ああ。満州」とかいう本は、いかに日本兵が、むごいことをしたことを証明するような残酷な写真もたくさんありました。

  1987年の11月だったと思うのですが、お父さまが、世界科学者会議にためにアトランタにこられました。
そのホテルで、メンバーを呼んでくださいました。
 みんなの拍手の中にご父母さまが、部屋に入ってこられた時、わたしは赤子のように部屋全体に響き渡るほどの声で、泣き出してしてしまいました。
 お父様が、「静かにしなさい」とか「Be quiet」とか、何度か言われたらしいのですが、泣き続けていたので、隣の姉妹から肩をを揺すぶられて「お父さまが静かにしなさいって!!!」といわれわれに返ったようです。

 み言葉を聞いているのですが、心に入らずいたところ、お父様が、「日本の憲兵にむちうたれれた、しかしその時、彼らを許したので、日本から天の前に立ち上がりる多くの日本人が我知らずに復帰されるようになった」と言うみ言葉を言われた時、背後の霊界が、ゆすぶられて明確にされたのかお父様のみ言葉にはじめて相対することができ、そこからは、まるで自分とお父様しかいないと思われるような世界に入り込み一対一で話されているような、また話を聞いているような、不思議な体験をしたことがあります。
 
 その後の内容は、サタンも嫌がるところに、一番愛するするものを、追いやるというないようでした。が、内容が違うほうにいってしまうので省略します。

  
 そのときの、み言葉『本然の根』と言いますが、今、何処を探しても見つかりません。
 
 しかし、お父様が過去にそのようなみ言葉(「日本の憲兵にむちうたれれた、しかしその時、彼らを許したので、日本から天の前に立ち上がりる多くの日本人が我知らずに復帰されるようになった」と言うみ言葉)を、何回か語られていましたので、今日はそれを見つけましたので、記載します。

 『真の御父母様の生涯路程1』 第五節「日本東京留学時代」より引用
四 抗日地下学生運動

東京には、留学生で構成された地下独立運動組織がありました。祖国が日本の植民統治下で呻吟していたのです。独立運動は当然のことでした。大東亜戦争が熾烈を極めるにつれて、弾圧は日に日に激しさを増していきました。日本政府が韓国の学生たちを学徒兵という名目で戦場に追い立て始めると、地下独立運動も次第に活発になっていきました。日本の天皇をどうけるかについて色々と討論したこともあります。私は組織上、留学生を束ねる責任者となり、金九先生の大韓民国臨時政府 (金九は当時主席) と緊密に連携しながら、同臨時政府を支援する仕事を受け持ちました。いざとなれば命を投げ出さなければならない立場でしたが、正義のためという考えから、ためらいはありませんでした。

早稲田大学の西側に警察署がありました。私の活動に感づいた警察は、絶えず目を光らせて私を監視しました。夏休みに故郷に帰ろうとしても、先に警察が嗅ぎつけて、埠頭や駅に私服警官を送って見張るほどでした。そのため、警察に捕まって、取調べを受けたり、殴られたり、留置場に拘禁されたりしたことも、数え切れないほどありました。追いかけてきた警察と四ツ谷の橋で、欄干の柱を抜いて戦ったこともあります。この当時、私はぐつぐつと煮えたぎる火の玉のようでした。

        ☆                   ☆

ある時は品川の貧民窟で生活してみました。ぼろを被ったまま寝て、日差しの強い真昼になってシラミを捕まえたり、乞食たちがもらってきたご飯を分け合って食べたりしました。品川の通りには、流れ者の女性も大勢いました。一人一人事情を聞いてあげると、お酒を一口も飲めない私が、いつしか彼女たちのかけがえのない友になっていました。酒を飲まなければ本心を打ち明けられないというのは、空しい言い訳です。酒の力を借りなくても、彼女たちを不欄に思う私の心が真実だと分かると、彼女たちも素直な心で胸の内を明かしました。

※大韓民国臨時政府と金九先生については、ウィキペディアの大韓民国臨時政府と金九の解説を参照。


『真の御父母様の生涯路程1』 第五節「日本東京留学時代」より引用

四 抗日地下学生運動

 私は二十代のころに、神様の前に「この民族を救おう」と誓いました。日本国民が天皇のことを思う心よりも、私が韓国の三千万を代表した立場で神様を愛する心が、もっと強いと信じました。それゆえに、日帝は滅びると信じました。

 日帝が先に打ったから、滅びるしかないというのです。偽りが真を打てば、残る法がありません。ですから私は心の中で、「打ちたいだけ打ってみろ。これ以上打つことができないという日には、ひっくり返るだろう」と思いました。

 先生が東京で勉強している時に、先生は東京をたくさん歩き回りました。行ってみない所がありませんでした。将来の計画があったためです。「今から数年後には、日本の若者たちが必ず立ち上がるだろう」と考えながらです。

 学者はどうであり、労働者はどうであると、全部実地調査するために、先生は路地裏の道を、たくさん歩いたのです。全部密使のように行ってきたというのです。だからといって、犯罪を犯すのではありません。この国はいつまでに滅びなければならない、天の復帰摂理のプログラムにおいて、時が来れば、その時に該当し得る期間になれば、滅びなけれぱならないというのです。そのような心をもって、東京駅に降りる時から戦ってきたのです。話はしないけれど、道を行きながら、「私が歩いている道よ、お前は知っているだろう、韓民族が行く道を」と語りかけ、木を眺めても、「怨讐の地にある万物よ、お前は天に属するものであるから私を知っているだろう」と語りかけて歩いたのです。

        ☆                   ☆

 先生の後ろには、いつも刑事たちが付いて回りました。私が韓国に来るようになれば、彼らが前もって電話をして、「なにがしが今韓国のどこに行く」と連絡をします。そのようにして、先生が駅の改札口を出れば、願わない人々が来て、今来られたか」と言います。

 先生は学生であっても、要注意人物でした。しかし普通の人は、先生をよく知りませんでした。先生は何度も留置場に引っ張られました。東京にいる時には、一ヵ月に一度は警察署に呼ばれました。その警察署は、早稲田通りをはさんで早稲田大学の反対側にありました。

 二十代の時に日本の警官によって拷問も受けました。そして戦ってきました。むちで打たれ、拷問されながらも、先生は堂々としていました。そのようなことを忘れることができません。四ッ谷の橋の欄干の柱を抜いて、戦った青春時代を忘れることができません。

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「勝利者になりなさい」 10・20・2004イーストガーデンで。
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ブログの責任 千鶴QUIGLEY 渡米1985年 現在はイリノイ州の学生の町シャンぺーン
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でアメリカ人の夫と2人の娘と1息子。
前向な信仰の後輩に励まされ、このブログを立ち上げることにしました。
 また、ソーシャルメデアは諸刃の剣(もろはのつるぎ)であるとの、信仰の先輩からの進言をも肝に銘じた上で、書く内容をよく吟味しながら、このブログを始めていきます。
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