神様の事情と悔い改め

3日ほど前だったか家の近くのマクドナルドにいる時、流されていた曲です。
歌っていたのはジョシュ. GROBAN。なぜか、涙を誘われる曲です。
 日本語の歌詞つきを探したらオリジナルのCELTIC WOMANが歌うとても良い動画がありました。

YOU RAISE ME UP(日本語訳つき)by CELTIC WOMAN(あなたが、わたしを育てて下さったから)
**ここでは、「あなたが支えてくれたから」と訳されていますが、意味は
「あなたが、わたしを育てて下さったから」が直訳で、そのほうが、良いとおもいました。
 [広告] VPS


YOU RAISE ME UP by ジョシュ. GROBAN
  [広告] VPS


 先週の日曜日も、文亨進会長ご夫妻が礼拝は5週間連続で「絶対性」について語られています。説教では会長ご夫妻が「絶対性」のみ言葉を聖書の比喩を「絶対性」のパスワードを通して完全に紐解き「天聖教」のお父様のみ言葉で再確認、また「絶対性」の具体的な生活指導や公的カウンセリングなどをされています。(私の理解ですが)
 この「「絶対性」のシリーズは「基元節」への「最高の準備」として、全米が「心ひとつ」となり、なされているように感じます。また 「絶対性」の理解と実践ですでに「基元節」後にも、足を踏み入れているということも文亨進会長が言われました。 
 詳しい内容は、また日を改めて書きたいと思います。
一点、記しておきたいことは今回、会長ご夫妻が「悔い改め」について語られ、それが簡単にできない理由「自己正義感(SELF RIGHTEOUSNESS)」や神様やご父母様に対する「恨み」などを、お二人がご自身の体験から語られました.それには、私も目が潤んでしまいました。

 重要なことは「悔い改めの実り」とはスポットライトが、自分から、神、ご父母様に変わることだと言われました。

 言うにいえない「神様の事情」「神様の悲しみ」「神様、ご父母様の愛」「神とご父母様に感謝」「神とご父母様に栄光を帰す」ことが、自分のものとして感じられるようになることだと思うのですが、やはり、ここアメリカはキリスト教の国であるせいか、そういう観念が、すんなりと違和感もなく入ってくるし実感も沸きやすいのだと思います。

  お父様は、アメリカは「アベル」だといわれましたが、私は時々お父様がアメリカに託された「夢」というものを日常に溢れている、歌、映画、文化、政治に中に、垣間見ることがあります。
 そんなとき、私は本当に感動して力が与えられることがあるのです。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 統一教会へ
にほんブログ村

許しと悔い改めの真の源

 「わたしの身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから 送られた使いです。この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました。すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫 害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ(キリストにあって)強いからです。」(デラン、スコット氏が、克服しがたい試練の中に、出会った聖句、そして克服できた)
bird.jpg


ときどき、埋めることができないのでは?と思われるようなが何ともいえない思いが胸の中を漂う時があります。

心当たりの理由は色々ありますが、大きな原因は様々なつらい思いをした末に教会から、距離を置いている娘のことのゆえだとおもいます。

また、その彼女の今の生活が、この世の価値観から見たとしても、あまりにも幸せとは、いえないような投げやりな「痛々しい」ものだからだと思います。
 
でも、そうかとおもえば、心に沁みついて取れないだろうと思うこともある「鈍い痛み」のようなものが、いつのまにか、薄らいでいくように感じる時もあります。

 それが、ただ買い物に行くために明るい日の光をあびながら、車を運転していている時だったり、祈りなどとはいえないような、空回りばかりしている過去への問いかけや、後悔の念の末にふっと沸いてきた「思い」による「心の転換」がきっかけだったりします。

 「思い」とうのも、言葉の形を持たない「ある言葉」なんだとおもいます。

  でも、ちょっとしたことが原因で、ふっと去ってしまいます。

  だから「私がもつ言葉」は変化の激しい「言葉」だなあと思うのです。

 信仰の目指す世界というのは、環境で打撃を受けてしまう私たちが、変わらない岩にたとえられる「聖書」を絶えず読んだり、

  私たちの教会では、お父さまの「み言葉」を訓読することにより永遠の変わらない「言葉」を自分の中に根ずかせながら、まず自分を癒し、そして周りの人を癒していくことなのかもしれません。

  「聖書のみ言葉」の実体が、イエス様であり、「お父様のみ言葉」の実体が、ご父母さまなのでしょう。 mother 2


  今、たくさんの涙をながされながらも、悠々として、たたれておられるお母様を思う時、お母様は、お父様と神様と隔たりがない「永遠に変わらないみ言葉の実体」なのだということを感じます。

  自分の心が、とても憂鬱になる時に、「お母様は?」と深く心をはせると、涙がでてきます。
  
  また、がんばろうという思いがあいてきます。father 1
 


 日本では、考えられないようのことですが、アメリカは、学校での銃殺事件問題がよく語られます。
 
 大きな銃殺事件が国内で合い続いたので、最近フェイスブックでも、デラン、スコット氏の演説の記事がでまわりました。今回は、その記事とともに、YUTUBEでのインタビューも聞いてみて、心深く感銘した世界がありましたのでここに、紹介します。http://www.youtube.com/watch?v=WtXdrJkwCsY のデラン、スコット氏のインビュー(演説にはない)で感動したことは、娘レイチャルの死後のべットの間に見つけた、彼女の「愛する」とはという愛の定義を書いたレポート用紙についてでした。死ぬ、1ヶ月前に書いたものです、彼女があげた、その「愛する」行為の最初が「許すこと」とでした。
勿論、彼女は、イエス様を心から、慕っていたクリスチャンでしたから、「許すこと」は、キリストによるものです。

 父親スコット氏は、自分の力では、到底(犯人たちや、事件)を許せませんでした。特に机の下で、事件を目撃したレイチャルの弟は、悪夢とトラウマの中で「許す」ことがとても困難で時間がかかりましたした。
 でもスコット氏は「娘は、自分たちが恨みにより、人生を破壊してほしくないだろう」と感じて、娘の意思をついで「ゆるす」選択をしました。
 その過程で許せない自分にぶちあたり、弱さを自覚しすることにより「ゆるす力」が次第に神、キリストにより、家族全員にあたえられていったという証でした。
 「ゆるす」ということを何度も何度もしながら、そこに神が臨在するようになって「ゆるし」が「揺るがないもの」になっていったということです。
この揺るがない「ある域」が、み言葉を体じゅつ(EMBODY)した世界だと感じたのです・

 変わらない「言葉」による世界、おとうさま、おかあさまが、おられる世界ではないかと感じました。
いいえ
  
 デラン、スコット氏の演説の公聴会演説の背景。(氏は何度もこれに似た演説を今日に至るまでしている)
 1999年4月20日、コロラド州コロンバイン高校で2人の生徒が銃と手製爆弾を校内に持ちこみ、教諭1人と12人の生徒を射殺、28名を負傷させ、犯人はその場で、自殺するという大事件が発生しました。
 
 この事件は高校生が学校で起こした最悪の暴力事件として当時、世界を震撼させました。
  
 犯人、エリック・ハリス(当時18歳)とディラン・クリボウルド(当時17歳)は「トレンチコート マフィア」という名前のグループに属し黒いトレンチコートを着て闊歩する、いわゆるはみ出し者でした。
 
 アメリカの高校にはクリック(小さな閉鎖的なグループ)と呼ばれるグループが多数存在します。同種の人間同士の閉鎖的集団でスポーツ選手のクリックもあれば、理科系や文科系のクリックもあります。「トレンチコート マフィア」もまた、そのクリックのひとつで、ナチス崇拝、少数民族虐待思考のクリックでした。
 
 しかし、この事件は学校生活に順応出来ないナチ崇拝者が、銃を手に入れたことから身勝手な「戦争」を学校に対して行った事というような単純なものではありません。ましてや「銃が容易に手に入るから起きた、銃さえ無ければこんな悲劇は起きなかった」と結論付ける事も正しくありません。
 
 彼らが「トレンチコート マフィア」に加わったきっかけは、学校内のいじめであったらしいのです。
 運動部の学生「ジョックス」という「クリック」からしつこく、かつ陰惨に虐められ、奴隷のようにこきつ使われた彼らは、その疎外感から逃れるために「トレンチコート マフィア」に所属するようになりました。そして自分たちを救ってくれなかった学校全体に対し復讐したと考えられます。
 
 彼らの行動を、単なる「甘え」、あるいは 「狂気」であると決め付けては何も解決しません。もちろんエリック・ハリスとディラン・クリボウルドの行動を認めることも絶対に出来ません。しかし、彼らがこのような暴力と死に走った原因を見つめ、解決を見出さない限り、この種の事件は後を断たないでしょう。事実、その後、二桁にのぼる同種の事件が発生しています。
 
 それにもかかわらず、事件の原因を銃が簡単に手に入るアメリカの社会が悪い、と単純な方向に結びつける人も少なくありません。この事件直後の報道では、この悲劇に対し、学校教育のあり方や、社会全体の問題として捉える動きはあったものの、まもなく事件の本質を見据えることを止め、銃規制を進める動きに走りました。しかし、そんな短絡思考では、答えは何も見えてきません。
 
 学生が学校で銃を乱射する事件は1997年以降に発生しています。しかし、銃はそれより遥かに昔からアメリカ社会に存在していました。
 
 銃があったからこのような悲劇が起きたのでしょうか。確かに銃が無かったら、このような事件に銃は使われなかったでしょう。しかし、銃があったにも関わらず、それまでこのような事件はありませんでした。このことから見ても、問題の本質は銃の存在にあるのではありません。

 
 2002年8月、この事件の被害者のひとり、レイチェル・スコットの父親ダレル・スコット氏が下院司法委員会の公聴会でスピーチをしました。(それ以降、何度も、最近にいたるまで、スピーチをしています)
 
 ダレル・スコットをこの席に招いた人物たちは、彼が銃の存在に憎しみをぶつける発言をすることを期待していたのかもしれません。
 
 しかし、そのスピーチ内容は全く違うものでした。このような、スピーチは、誰も予想していませんでした。

 以下はその一部です。

 sky.jpg


  「人は生まれながらにして、善なるものと、悪の部分をその中にあわせ持っています。
 私の娘レイチェルと、勇敢だった教師、そして他の犠牲になった生徒達、この13名の死を無駄にしてはいけません。
 
  人類最初の暴力はカインがアべルを殺したことに始まります。悪いのは、カインが使った「こん棒」ではありません。  カインが犯人であり、彼の心の中にその罪がありました。
 
  コロンバイン高校の悲劇のあと、NRA(全米ライフル協会)に非難が即座に集中したことに私は驚きを禁じえません。
 私はNRAのメンバーではありません。ハンターでもありません。銃さえ所有していません。
 
  私はNRAを擁護したり、非難したりするためにここに来たのではありません。なぜなら、NRAはこの事件に責任はない からです。自分の娘の死にNRAは全く責任はありません。もしNRAが娘を殺したのならば、自分は、彼らに対して最強の対抗者になるっていたでしょう。」
  これは、ここにくる5日前に私(スコット氏)が書いた詩です。

 「あなたの法律は、私たちの深い要求を無視します。
  あなたの言葉は、空しい空気です。
  あなたは、我々の遺産を剥ぎ取りました。
  あなたは、素朴な祈りを非合法化してしまいました。
  今、銃声が、私たちの教室を埋めつくしています。
  そして貴重な子供たちは死にます。
  すべてのところに、答えを求めるます。
  「どうして?」と質問をします。
  あなたは、立法信条を通して法律を制限し規制します。

  それでも、まだあなたには、わからないのです。
  神こそ、私たちが、必要とするものであることを!」


  罪と偽りがこの部屋に満ちています。
 我々は肉体と魂、そして精神で構成されています。私たちがその精神を否定したとき、心の中に悪と偏見、憎しみとが 満ち、惨劇をもたらすのです。
  
  精神面の教育は、わが国の歴史の中で、学校教育により形成されてきました。多くの大学は、神学校として始まったのです。
 
  わが国に、いったい何が起きたというのですか。我々は神を愛することを拒否し、憎しみと暴力の扉を開けてしまった のです。
 
  そしてコロンバインの悲劇が起こったのです。政治家はすぐにNRA(全米ライフル協会)を攻撃します。また個人の自由を制限する法律を作ろうとします。
 
 我々にそんな法律は必要ありません。
 
 エリックとディランは金属探知器では阻止出来なかったでしょう。法律では、誰も、このような大虐殺を計画することまで止めることは出来ないでしょう。
 
 悪は私たちの心の中に存在します。政治的なポーズや、自由を制限する法律では、このような悲劇をくいとめることは出来ません。

 私の息子クレイグは学校の図書館でそのテーブルの下に横たわっていました。
彼の二人の友人が彼の目の前で殺害された時に、彼は学校で祈ることを躊躇しませんでした。
 
 私は彼にその(祈る)権利を否定する法律や政治家たちに挑戦します!私は、アメリカと世界各地のすべての若い人たちに挑戦します。1999年4月20日の、コロンバイン高校での「祈り」が、(アメリカと世界中の)の私たちの学校に戻ってくることを。

 コロンバイン高校で、学生たちが捧げた多くの祈りを、無駄にさせないでください。

 神から与えられた神と交流するする権利を否定するような、神聖なるものを軽視するような、法律を持ったままで、新たな千年紀に突入しないでください。
  NRA(全米ライフル協会)を攻撃している人たちよ、 私はあなたがたに、心から挑戦をします。 

 最初に石を人びとに投げつける前に、まず自分の心を調べてみてください!そうできれば、私の娘の死は無駄にはならないはないでしょう! 

 
 
 この公聴会のニュースはアメリカで報道されませんでした。CNN, ABC, NBC, CBCは完全に無視をしました。
 
 もし「NRAが悪い、銃が存在するから娘は死んだ」とスコット氏が訴えたなら、間違いなく報道されたでしょう。

  
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 統一教会へ
にほんブログ村

 





 


The Able-times 
3ET製StarWatch
Present's by サンエタ
最新の記事です
過去の記事を別に読む
記事を項目別に読む
投稿、コメントにおける注意事項
投稿はコメント欄で「投稿記事希望」と書いてコメント欄を使い送ってください。 。記事投稿の際、国名、また教会員の方は所属先とお名前も、ご記入ください。記事記載におきましては、お名前は実名、ハンドルネーム、匿名希望でも、かまいません。
「勝利者になりなさい」 10・20・2004イーストガーデンで。
最新のコメントです
プロフィール

ザ. ビクターズ   

Author:ザ. ビクターズ   
ブログの責任 千鶴QUIGLEY 渡米1985年 現在はイリノイ州の学生の町シャンぺーン
http://www.youtube.com/watch?v=ZAvO4BqpZAI

でアメリカ人の夫と2人の娘と1息子。
前向な信仰の後輩に励まされ、このブログを立ち上げることにしました。
 また、ソーシャルメデアは諸刃の剣(もろはのつるぎ)であるとの、信仰の先輩からの進言をも肝に銘じた上で、書く内容をよく吟味しながら、このブログを始めていきます。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 統一教会へ

にほんブログ村
  

QR code
QR
Powered by FC2 BLOG

Let's start blogging!!

Powered by FC2 Blog

Display RSS link.